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訪問ありがとうございます!
このブログは、「カフェ&ギャラリーkaze」のブログでしたが
廃業に伴い現在は、新規記事はなく、既存記事を保存中です。
記念碑として、活用中なので、分け入って楽しんでいただければ幸いです!
また、兄弟ブログ『風のささやき』及び『風の詩』も是非お立ち寄りいただければ幸いです!

初恋の人と結婚!-幸せなお客さん [人生]

3月19日(月)
朝、マイナス3度、晴れたり曇ったり、夕方小雪舞う。
森田さんがお昼前に来店。
昨日の中日新聞朝刊の森田さんのギャラリー記事を
見せてあげた。

午後、真っ赤なロードスターに乗った老人が来店。
今74歳、妻は、初恋の人で71歳とのこと。
子供達も独立していったので、今は夫婦二人なので
ロードスターを買ったとか。
夫婦二人になってから、ますます熱々の関係だそうだ。
「でも、ながいこと一緒に暮らしていたら、やはりいろいろあったんじゃない?」と
僕の妻が言うと
「全然、私は浮気なんかしたことないし、する気もせん!」と
言下に答えが返ってきた。
なんでも、子供の頃に父親が2号さん作って、母親が泣いていたのを見て育ったから、
自分は結婚したら絶対浮気なんかしないと自分に誓ったということである。
妻に誓ったのなら、隠れて浮気も出来るが自分自身に誓ったので、
絶対しないとのことである。
「そう、若いときは奥さんきれいだったんでしょうね」と僕の妻。
即座に「何を言ってくれる。今でもきれいだ」とお客さん!
で、なぜか、みんなで大笑い!
とにかく元気なお客さんである。


雪と蝉しぐれと初恋と [人生]

3月12日(月)
朝零度、一日中雪が降る!
朝食をしながら、ふと電柱を見ると雪だるまが出来ていた。

自然が作った雪だるまである。
で、早速、写真に収めた。
雪は、昨日から降り続き、今朝は積雪している。
でも、お客さんは、「雪降ってるのはここだけだよ。
堅田や大原では日がさしていた。」とのこと。
やはり、ここは、別天地だなあ、と思う。

お客さんで詩吟をやってる方がいて、お店で歌ってくれた。
歌の説明や情感のこもった歌い方に、
僕の胸にこみ上げるものがあった。
機会を見て、お店でライブをしたらと思った。
秋がいいかな?
お客さんも快くやってあげるといってくれた。

ところで、3日前から読み始めて藤沢周平の「蝉しぐれ」を
やっと読み終えた。
最近、周平の作品がドラマや映画になっていて、
「蝉しぐれ」もNHKドラマと映画にもなった。
僕は、周平の描く自然描写が好きだ。
このうまさは、どこから来るのだろうと思っていたが
秋山駿氏の解説に
「これは、単なる描写ではない。日本人の心の裡にある自然の形を
描いたものなのだ。日本的な、人間の内部が抱く自然というものなのだ。」
とう言葉に納得した。
さらに、僕には「蝉しぐれ」は、初恋物語でもあると思う。
この小説の最後の章で、ふくが文四郎に送った手紙の中で
「このたび白蓮院の尼となると心に決め、この秋に髪をおろすことにした。
しかしながら今生に残るいささかの未練に動かされて、
あなたさまにお目にかかる折もがなと、・・・・」からも伺える。
初恋とは、今まで親や兄弟とも異なる赤の他人が、
自分にとってかけがえのない大事な人として、
心にたち現れる現象であると思う。
それは、真の人間としての精神の発展であり、
その人の人生の記念碑となるものであろう。
それゆえに、初恋は、心の奥深く根付き、死を前にしても尚いき続けるのだと思う。
その初恋が実らなかった恋であればあるほど、深く、強く人の心に行き続け、
「今生のいささかの未練」となるのであろう。
そして、僕の心にも、「今生のいささかの未練」が宿っている。
でも、それは、不幸なことではなく、
人間的な優しさや情感を豊かにしてくれるものでもあると思う。


お気に入りの心象絵 [人生]

3月9日(金)
開店準備をしながら、森田さんの心象絵をじっくり眺めた。

自分の心の中に映る絵ということだけど、なにか幻想的でもあり、面白いなあと思う。
僕は、特にここに掲げた絵がお気に入りです。
創造する何かを持つことは、その人の人生を豊かにし、
その人に生きる意味を与えるものだと思う。
そして、人生の意味は、自分自身とは別の何か、あるいは、
自分自身とは違う誰かに向かって存在することによって、
始めて獲得することが出来ると思う。
自分自身を捨て、他者の中に生きることによって、
人は、自分自身の生きている意味を獲得するのだと思う。
人間が人間として生きていくためには、生きる意味を獲得することが重要です。
豊かな生き生きとした人生とは、
生きる意味を獲得した人のみに与えられる恩賞の様なものではないかと僕は思います。


来店するとご利益がある?! [人生]

2007年2月12日(月)

朝マイナス2度、晴れ、昨日雪が降ったなんて、うそのような眺めである。里山の峰にわずかに残雪があるだけ!

 

カメムシが出てきたので生け捕りにして、いじめてみたけど例の鼻持ちならない臭さがまったくない。

ソリュージョンウオーターを空中噴霧していた成果のようである。

信じがたいけど、これ事実!

すごい効き目である。

例の常連さんも大満足で専用超音波加湿器を持って帰った。

 

どうしても実現したい願いがあるときに、わがkazeに来ると実現するというお客さんがご夫婦でこられた。

そういわれると僕らも気分がいい!今度も願いがかなってほしいと思う。

 

ご老人の常連さんがゲートボールに熱を上げているお年寄りを人生の浪費だと散々こき下ろして帰っていった。

僕らは大笑いだった。

 

夜は買い物にわがkazeのぼろぼろのワゴンRで小浜のPLANT-2に行った。

この車テープはおろかラジオも入らない。

で、音といえば自分らの声だけ。

行きは夫婦の会話、帰りは、妻が横で歌を歌っている。

上手で聞きほれるほどのものではないが、耳栓したくなるほどでもない。

けど、このぼろ車なにかぎしぎしいったりするけどよく走る!


彼女は、千の風になった! [人生]

1月20日(土)

 

お店を開店する前から知人である鈴恵さんと今日永遠のお別れをした。

彼女は、お店を始めるときも、親身になって気を使ってくれた。

開店後も、このお店を大変愛してくれていて、よくご主人と訪問してくれた。

お店の名前を決めるときも、一緒に考えてくれて、

kazeが良いといってくれたので、それに決めた。

 

そして、今日、彼女は風になってしまった。

きっと私達のkazeにも吹いて来ていると思う。

だから、僕は、彼女に「1000の風」を捧げます。

 

 A THAUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,

  I am not there, I do not sleep.

 

I am a thousand winds that blow;

  I am the diamond glints on snow.

  I am the sunlight on ripened grain;

      I am the gentle autumn's rain.

 

When you awake in morning hush,

     I am the swift uplifting rush

            Of quiet circled flight.

I am the soft star that shines at night.

 

  Do not stand at my grave and cry.

      I am not there; I did not die.

 

        千の風

墓前にたたずみ、涙を流さないでください。

  私は、そこにいません。眠ってもいません。

 

私は、千の風となって、吹いています。

私は、雪の上でダイヤモンドのような輝きとなっています。

私は、熟した穀物の上に、降り注ぐ、陽の光りです。

私は、やさしい秋雨です。

 

あなたが、朝の静けさの中で、目覚めるとき

  私は、素早い上昇気流となり

    鳥達に穏やかな旋回をさせています。

私は、優しい星となり、夜空に輝いています。

 

墓前にたたずみ、泣かないでください。

 私は、そこにいません。私は、死んだのではありません。

                                            訳:kaze

 


人間の幸せとは・・・ [人生]

1月8日(月)
朝曇り、気温零度、午後から雨→吹雪
吹雪が収まると、雪はまっすぐ地上に降り注いでくる。
周りの山々は、白くかすみ、麓の杉林の緑を背景に降りしきる雪!
暖炉で暖かな窓辺に佇み、サラ・ブライトマンの澄んだ歌声を聴きながら、
雪景色を眺めていた。


ふと、脳裏に昔、観劇した「はなれ瞽女おりん」
という有馬稲子の演ずる演劇のラストシーンが浮かんだ。
舞台一面に降り注ぐ雪の中を一人行くおりん。
その行き先は孤独と絶望、死への道であろう事を暗示しているように感じた。
悲愴なラストシーンである。

でも、僕は今悲愴な気分になっているから思い出したのではない。
人は、幸せを感じているときでも、
あるいは幸せと感じたからこそ、思い出す「悲愴」があると思う。
僕は、人間本来の姿は、弱肉強食の動物達の世界と変わらないと思っている。
だからこそ、よりよい世界を人間世界に実現するために
努力しなければならないと思う。
人間と他の動物を隔てる一線は、
人間は、その信念のために自らの命さえ喜んで投げ出せるという点にあると思う。
そして、そのような人たちが人間の歴史を前に進めていくのだと思います。
人の一番の幸せとは、前向きな自分の生きがいを見つけ、それを貫けたときに、
天から与えられる自己存在の喜びであろうと思う。

だから、前におりんのラストシーンで、僕は「悲愴」と書いたけど、
別の見方をすれば
おりんは、幸せを抱えて死の道を歩んで行ったのではなかろうかと思う。
人の幸せとは、他人の目にはみえない心の生き方の中にあると思う。

「はなれ瞽女おりん」関係リンク
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/5653/2004/hanare_goze_orin.htm

http://www.kpac.or.jp/review/orin.html

http://blog.livedoor.jp/hanahenro1973/archives/12119356.html

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD18754/index.html


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