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訪問ありがとうございます!
このブログは、「カフェ&ギャラリーkaze」のブログでしたが
廃業に伴い現在は、新規記事はなく、既存記事を保存中です。
記念碑として、活用中なので、分け入って楽しんでいただければ幸いです!
また、兄弟ブログ『風のささやき』及び『風の詩』も是非お立ち寄りいただければ幸いです!

朗読者 [人生]

2009年9月7日(月)

朝22度、晴れたり曇ったり。
昨夜から読み始めた「朗読者」を仕事の合間に読み続けた。
おかげで、夕方までに読み終わった。

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読みながらも、記憶の片隅におぼろげながら、なにか二度目の気がする。
この本は妻が友人から借りてきて、一昨日読み終わり、僕に勧めたのだ。
その又、借りた理由が、友人とこの映画を観たからである。
読んでいて、何故かこお映画も見た気がする。
妻にそのこと言うと「最近上映された映画だよ。見てるはずが無い」という。
でも、教会に閉じ込められて囚人が焼死するシーンなんかは、はっきりと
思い出すのだ。
別の映画で似たようなシーンがあったのだろうか?

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ある人が「胸を締め付けられるような残酷な愛の物語」と評価している。
妻は「裁判で罪をかぶってまで文盲であること隠さなければならなかったのだろう?」
と言う。
ところが僕の方は、ハンナの心と潔さに心を引かれてしまった。

この小説を読みながら、僕はふと、昔読んだ「アルト・ハイデルベルグ」という
マイアーフェルスターの小説を思い出した。
なぜ、思い出したのだろうと考えた。
で、この二つの小説に共通するものはなにか?
あまりにも境遇の異なる人間同士の愛は、
残酷なことになるということではないかと思った。

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「アルト・ハイデルベルグ」は公子と宿の娘ケーティ。
朗読者は、大学教授の息子と貧しくて教育も受けられなかった律儀な娘。
しかも、ハンナは元ナチの収容所看守として罪を問われているのだ。
昔流に言えば、身分の違う者の愛は、身分の低い者の悲愛に終わるという、
いわばありふれてはいるが、朗読者は今も形が違うけど生きているという
証拠みたいな小説である。
そして、大方が悲しい立場に置かれるのは女性である。

ベルクもハンナの愛を受け入れる勇気を持たず、逃げ出したのだ。
結果、ベルクは自らの人格をも傷つけてしまったのだと思う。
大きく環境の異なる者の愛は、それを貫こうとすれば、大きな戦いが必要だと思う。
特に優位な立場の者にとっては、失うものがあるからだ。

それを社会的保身といえば良いのだろうか?
頭の上に胃袋を置くのと同じく、
愛の上に保身をおいている人の愛は、愛とは呼べないと思うのだ。
そんなわけで、今日は「朗読者」について、うんだうんだと言いながら日が暮れた。

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友好の連鎖を! [人生]

2009年7月26日(日)

朝24度、晴れ、のち豪雨!
でも、来店された方々は、のんびり、ゆったり雨を楽しんでいるようだった。
本や書類を持参して、しっかり半日仕事(?)をされた方もいた。

今日、友人から借りた雑誌を読んだ。
友人が購読している『シネ・フロント』という雑誌に『沈黙を破る』という
映画のことが書いてあった。(「2009年5・6月号 No368」)
その中で『沈黙を破る』のドキュメンタリー映画を作った土井敏邦氏の対談が
掲載されていた。

sinefront.jpg

イスラエルとパレスチナ両方の世界を見、体験してきた人で、この映画の
作成に至る考え方、視点を読んで、深く考えさせられた。
彼はいう。
「考えることをやめたとき、僕は怪物となった ー この彼らの言葉の中に
私は人間としての普遍性を見いだした。」
"怪物となった僕”とは、沈黙を破り始めたイスラエルの兵士なのだ。
『私たちは、あなたたちイスラエル国民によって送られた"兵士"なのです。
"あなた方が送った兵士"です。あなたがたが"敵"とみなすパレスチナ人に
対する、あなたたちの"拳"なのです。イスラエル政府の"拳"なのです。』
で、彼らがイスラエル兵士としてパレスチナ人に対して強制されたことは、
どういうことだったのか?

その点について、ジャーナリストの伊藤千尋氏は、「今のユダヤ人にナチスを
非難する資格があるのか。映画『沈黙を破る』は、そう考えたユダヤ人の
若者たちを描いている。」という。
彼は、書いている。
「ナチスから迫害されたユダヤ人が、今やパレスチナ人を住んでいた土地から
追い出し、それに抗議する人を虐殺している。かって迫害された民族が、
逆に迫害する側となった。
ユダヤ人は、ナチスの迫害から何を学んだのだろうか?」
「こんなことがあっていいのか?世界はこれを見捨てていいのか?
これを見捨てるということは、自分の人間性をなくすと同じことではないか。
・・・そのガザに侵攻したイスラエル軍の中からも『沈黙を破る』兵士が
出てきた。」

勇気ある兵士たちである。
敬服に値するとおもう。
日本ではどうだったのだろうか?
第二次世界大戦で、日本軍がアジアでしたことに『沈黙を破る』兵士が
いたのだろうか?
海軍には、いたというような話は聞いたことがあるような気がするが…

いずれにしろ、戦争は、人間の姿をした怪物を作り、
それが「正義」を語り人間を虐待する。
もういいかげんに戦争は、この地球上からなくして欲しい!
憎しみの連鎖ではなく、友好の連鎖を作ろうよ!

 


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魂と魂が直接触れ合うような感情! [人生]

2009年5月18日(月)

今日から、6月5日までの間は、臨時休業。
で、休みの準備作業の日である。
外は昨日とは、正反対で雲ひとつない日本晴れ!

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11時にトールペイント展の山瀬さんが来店。
作品の片づけをした。
3人で楽しい昼食会。
食後は、山瀬さんと妻はのんびりと草花鑑賞!

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山瀬さんが帰った後、お店の片付けにかかった。
妻がうれしそうな悲鳴を上げるので、どうしたのかと思ったら、
裏庭で四葉のクローバーを二つ見つけたのだ。

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僕ら夫婦のために開いたように思えて、それぞれ一つずつ分けた。

僕は、半年前、肺ガンが見つかって、手術するまでに大きな不安と決断を迫られた。
僕の不安は、すでに肺気腫という病を抱えての肺がんの手術であり
術後の自分の肺機能はどうなるのか、今までどうりに生活ができるのか
それとも、酸素ボンベの生活になるのかという不安であった。

で、手術に先立ち、担当医と何度か十分に話し合った。
そして、自分の気持ちも伝えた。
それは、手術の結果、酸素ボンベの生活になるのなら、
手術はしないということである。
そして、たとえ短くても残された命を大切に生きたいと思った。

その決断ができると、不思議なことに、一日一日が生き生きと感じられ
なにか生きてることにワクワクするような晴れやかな気持ちになれた。
担当医の結論は、ほぼ現状の生活が術後にできるということだったので
手術を受けることにした。

手術の前、約1ケ月、体力つくりに妻の提案で毎日吉田山を散策した。
入院中は、一日も欠かさす妻は、歩いて病院に通ってきた。
退院後も妻と二人吉田山散策をし、大文字山へも挑戦した。

そして、ある日突然の妻の反応により、僕は自分の生きる意味を発見した!

それは、どんな言葉でも十分に表現できない深い感情である。
人の魂と魂が直接触れ合うような感情である。
僕はその感情も込めて、四葉のクローバーを
愛読書であるV.フランクルの「苦悩の存在論」に挟んだ。

そこでフランクルは書いている。

『いかにひとが自分に課せられた苦悩をみずから引き受けるか、そこに、すなわち
この苦悩の仕方(wie)に苦悩の目的にたいする答えがある。すべては態度、つまり
苦悩にたいして向きなおった態度いかんによる。・・・・苦悩する人間が苦悩の仕方を
とおして苦悩の目的の問いに与える答えは、いつも無言の答えである。ふたたびいう
ならば、超意味の信仰の彼岸にあっては、その答えが唯一の意味豊かな答えなのである。
最後の言葉は苦悩する人間にではなく、苦悩する隣人、苦悩をともにする人間にかか
わっている。すなわち苦悩そのものと同じく、苦悩をともに成し遂げること(Mitvollzug)、
ともに苦悩すること(Mitleiden)は意味豊かである。それは意味豊かであり無言である。
つまり、話しかけには限界がある・・・・・。
すべての言葉が乏しくなるところ、そこには一つ一つの言葉が充ち満ちている。』
                    (「苦悩の存在論」真行寺功訳 新泉社)

今ほど、このフランクルの言葉が実感として理解できたことはなかった。


 


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親切な人々! [人生]

2009年2月12日(木)

今日は、妻の勧めもあって、大文字山へ登ることに挑戦した。
とりあえず、行けるとこまでいき、引き返せば良いということで出発したが、
銀閣寺の門前ですでに息切れがして、ハアハアである。

やっとの思いで、大文字山の登山口に行けた。
登山口でへたばっていたのでは、先が思いやられるので、がんばることにした。
昨日の雨で道はぬかるんでいる所もある。

3分の1程登った所で、降りてくる知人の1団に出合った。
で、その中の高谷さんが、再び僕らに付き合って、登ってくれる事になった。
とりあえず、息を切らしながら、ゆっくりと歩く。

大文字の火床のある場所まであと少しのところで百段以上の階段がある。
必死で歩いて、なんとか登りつめた。
そこで、降りてくる老人に合い、つい話が弾んでしまった。

彼は、西京区から来たと言う。年が94歳だといって、証明書を見せてくれた。
なんとも元気な人だ。

登りつめると、突然視界が開け、京都の町並みが一望できる。
さわやかな気分になる。
普通の人なら30分で登るところを僕は1時間15分かかった。
でもがんばった甲斐は有った。

腰を下ろして休んでいたら、同じ年くらいの女性が来て
「主人を見なかったでしょうか?」と言う。
いつも待ち合わせをしているところに今日に限って主人の姿が見えないのだという。
ご主人様は、足が早く、先に大文字山へ登ってきたらしい。
「弁当はどちらが持ってるの?」と妻が彼女に言う。
と彼女は「主人です」というが、なんともお気の毒としか言いようがない。

帰りの坂道は、足が震えた。
登山口を降りたところで、また、登山者と雑談になった。
彼は、この辺りが詳しい人らしく、中尾城ことなどいろいろ話してくれ
おまけに地図まで貰った。
世の中、親切な人がいるんだ。

親切といえば、超親切な方がいる。
昨日の休みを利用して、知人の浦崎さんとその友人2名の合計3名のみなさんが、
Kazeのために、昨年から作ってくれていた薪を比叡山から運んできてくれた。

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Kazeの薪ストーブに合わせて、ちゃんと長さも測って作った割り薪である。

まだ、雪の残るkazeの庭をブルトーザーで除雪して、薪小屋に積んでくれた。

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僕は、自宅で養生なので、
妻がkazeに出向き、ピザとドリンクでお持て成しをしてくれた。
彼らの行為は超親切としか言いようがない。
本当にありがとう!


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悲しい物語 [人生]

2008年8月13日(水)

10日の日記に書き漏らした悲しい物語がある。

夕方、妻の厨房にバッタ(?)が住み着いて、出て行かないという。
あちこち飛びはねては、窓の網戸に止まる。
「悪さをしないんだからいいじゃない」と僕。

夜の片づけがすんで、居間に妻が来ると、後を追っかけるように
彼のバッタ君が付いてきた。
「かまってもらいたいんじゃない?」というと妻は
「勝手に擬人化しないで」といって、シャワーするために浴室へ行った。

ところが、彼は、こともあろうか僕のパソコンのキーボードの上に来て動かない。
「それじゃパソコンできない。どうにかしてくれ」といっても知らん振り。

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しかし、やがて、僕の膝の上に飛んできて、ごそごそ動き回る。
妙な飛び方をするなと思って、良く見ると片足がない!

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かわいそうに、何処かで失ったらしい。
パソコンと僕の膝の上を飛び回ること小一時間。
やがて、本棚の方に行った。
で、僕も安心して、もう気にも留めなかった。

ところが、翌朝、掃除機をかけていたら、彼の死骸を発見した!
なにがどうなったのかは、僕らにはわからないけど、
とにかく彼は、僕らの部屋に来て、死んだのだ!

妻は、動物を擬人化して考えるなと言うけど、考えてしまうのだ。
彼は、最後の夜を僕と戯れて、逝ったのだと思うと
命と言うものについて、考え込んでしまうのだ。
バッタ君の気持ちが伝わってくるようで…・

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感謝の気持ちで胸が熱くなる! [人生]

2008年8月6日(水)

朝22度、晴れ、さわやか!
今日は片づけをして、京都にお昼には帰る予定である。
朝は、のんびりテラスで朝食をした。
妻が朝食を写真に撮れというので、早速カメラに納めた。
今日は、特に涼しい!!!

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森林組合の役員さんに頂いた鉢植えの「ナツエビネ」が蕾を膨らませていた。
今度来るときには、花を咲かせているだろう。

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帰宅は午後になったけど、暑い京都に向かった。
帰宅してパソコンを立ち上げてみると、びっくりのメールとコメントがあった。
ひとつは、憧れのプリンス・エドワード島在住の日本人Noriさんからである。
なんともうれしいメールである。
来年プリンス・エドワード島に行くときは、ぜひともお逢いしたいものです。

『初めまして。
プリンスエドワード島在住のNoriと申します。
今日、赤毛のアンの家 Green Gablesで、映画の撮影がありました。
そして私を始めとしたPEI在住の6人の日本人がその映画のエキストラとして
参加させていただきました。
その映画のタイトル(仮名のようですが。)は、「アンを探して」。
映画の撮影の後、家に帰って来てさっそくその映画の情報を探してみた所、
kazenotomoさんの7月6日の日記、「夕焼けに酔う!」にたどり着きました。
プロデューサーのゆりさん、kazenotomoさんのお店にいらしたんですね。
ゆりさん、現場を見つめる目が真剣でカッコ良かったですよ。
来年、プリンスエドワード島に来られるんですね。
私は来年もこちらにいるので、もしよろしければ来られる際にご一報ください。
ではでは。
Nori』

高瀬真理さんからのコメントにもびっくりでした。
7月28日「別天地のような夕焼け」

『風のファンはロスにもいる!!びっくりぎょうてん!!!
先日のコンサートに、風のブログをみてご来場された婦人がいた。
驚いた!!風のファンであるそうだ!!
なんどか風を来訪したことがあるらしい!!!!
まさか、ロサンジェルスで風の話題で盛り上がることが出来るとは思わなかった。
風さんに感謝!感謝!!
あと一週間ほどで帰国・・・夕焼けが恋しくなってきた。
写真に癒された。
またまた感謝!』

なんかkazeも国際色が出てきた感じがした。
外国でがんばっておられる日本人とお友達になれるのは、本当にうれしい!
日本の田舎の一軒家のカフェから、
国際的にも、楽しい人の輪が広がってくれれば僕らは本望である。
感謝の気持ちで胸が熱くなる思いだ。


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苦境の中でも生き生きとした人生は・・・ [人生]

2008年7月26日(土)

朝24度、今日も晴れ!
夕立は、どこへ行ってしまったんだろう?
もう、1ケ月余り雨が降らない。さすがの雑草もグッタリしている。
そんな中、今日はkazeを会場にして花野句会の皆さんが句会を開いてくださった。
まずは、川原に下りて、水遊び!
で、食事の後に句をねって、合評会をされた。

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せっかくなので、訪問記にも、一句書いてもらった。

昼の虫耳になじみて峡深し(カイフカシ)        住谷友志

裏比良の青き風来る避暑の宿              古賀しぐれ

はやばやと千年杉へ落つ西日              伊藤薫

カフェの名は風シャンソンは夏歌ふ           片山ゆきを

みな裸足若きに戻り川に入る              田平葉月

棟高く開けし窓から夏の山               ゆず

瀬音より抜けて河鹿の声走る              温子

山峡の底に住みなし梅を干す              美佐子

メンバーの皆さんに喜んでいただき、僕らも幸せな気分になりました。

ご近所さんからきゅうりを頂いた。
これがきゅうり? なんともデカイ!
で、テーブルに飾った。

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ところが、その横の商品「おいしおすえ」にトンボがやってきて
しばらく、きゅうりを鑑賞(?)して、満足して帰っていった。(笑!)

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閉店後、用があり和邇まで車で出かけた。
途中、伊香立で、ラフなスタイルで一人で歩いている若い女性がいた。
うちわひとつを持ち扇ぎながら、軽い足取りでサッサと歩いている。
外は、まだ、日が沈んだばかりで、道路際の温度計は30度だった。

人家もない道をどこに行くんだろうと思いながら、追い越していった。
和邇で用を済ませて帰っていたら、日赤前の信号先の坂道を
例の女性が、相変わらず軽快な足取りでサッサッサと歩いて来ているではないか!
僕はびっくり!
あの距離をずーっとこの調子で歩いてきたんだ!
で、僕は思った!
このくそ暑い中を苦にもせず、長い道のりをこれだけ軽快に歩けるのは
それ以上に彼女にとって、歩いて行く先に楽しいことが待ち受けていなければ
できることじゃない。
他人事ながら、その楽しいことは何なんだろうなんて、余計なことを考えてしまった。

そして、人生もまた、これに似ていると思った。
人生で大きなはっきりした目標を持っている人は、
他の人が挫けてしまうような苦境の中にあっても、
生き生きと、それをものともせず乗り越えていくのだろうと思う。
今日は、良い経験をした。

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ポロに捧げる鎮魂歌 [人生]

2008年5月5日 その2

ポロに捧げる鎮魂歌

お前は4月8日の朝、突然、風の様にkazeにやって来た。
雨に濡れ、やせ衰え、足をぶるぶる震わせて、
立っているのがやっとの姿で、玄関に現れた。
妻は、お前を見て、ボロボロの犬だといい、ボロと名づけた。
余りの姿に僕らは食パン厚切り4枚をお前に与えた。
お前は、必死でそれを食べた。

その日は、僕らはkazeを去る日だった。
車でkazeを出て行く僕らを
お前は、玄関に衛兵のようにお座りをして
手を振る僕らを見送った。

3日後の午後、僕がkazeに来ると、
なんとお前は、勝手口の通路から駆け出してきた。
びっくりしている僕に嬉しそうに尾を振ってついて回る。
食パンの入ったかごを見ると、くれくれとせがむ。
パンをだしてやるとお前は、フガフガ言って美味しそうに食べた。

僕らが休業日でkazeを去ろうとすると
お前は車を追いかけてきて、「置いていくな」とばかり
車の周りを吠えながら、走り回り
僕らを悩ませた。

お前は、次の週も同じように僕らを待っていた。
しかし、お前はkazeの敷地から出ることはなかった。
Kazeの直ぐ前の畑でさえ、好まず、直ぐ引き返してしまう。
まるで、kazeの敷地を知っているかのように
おまけに、時折、kazeの敷地を回り、チェックさえしていた。

お前は、僕を見ると片時も側を離れなかった。
すっかり僕になついてくれた。
僕の姿が見えないと店の周りを走り回って探したものだった。
そして、夜は、勝手口の通路を自らの住処と決めて、寝そべっていた。

僕は、そういうお前がいとおしく思えて、名前もポロに変えた。

お前が居るおかげで、今年はkazeの花々が鹿に荒らされずに
きれいな花を咲かせた。
紫陽花等も鹿のえさにならずに、元気に新芽を出した。
ここ数年、花を咲かせる前に食べられていたニワトコも
生き生きとして花を咲かせ実を付けた。
みんな、お前のおかげだと思う。

ところが3週目の金曜日
僕らがkazeに来ると入り口の鎖が断ち切られていた。
お前は、僕らの姿を見ると、玄関の床下から、よたよたと現れた。
後ろ足を引きずり、僕の前で倒れこんだ。
僕が断ち切られた鎖を修理にウエルカムロードに行くと
お前は、必死で立ち上がり、歩いて僕の後を追うが、
坂道を上がる力がない。
立ち止まって、悲しい声で「オ~~~、オ~~~」と鳴いた。
傷つき倒れても、尚、僕と共に居たいというお前に
僕の心は、お前への慈しみで震えた。

そしてまる3日間、お前は、横になったまま過ごした。
4日目に、腫れ上がった足を引きずりながら、僕の側に来た。
誠に、お前は、僕から離れたくなかったのだ!
その姿に、僕の心は、お前に占領されてしまった。
僕も、お前なしに生活できなくなった。

そして、僕は、お前と共に生きてやろうと飼い主になった。
お前は、元気を取り戻し
僕ら夫婦の会話の中心を占めた。
お前は、僕らの家族になってしまったのだ。

5月4日の夜
お前は、突然逝ってしまった!
お前が僕らの家族となったばかりの時なのに
お前と出逢って、たった27日間で
お前は、僕らを悲しませ、静かにkazeに眠った。

お前は、本当に春の風のように
僕らに温かい心を運んでくれた。
お前は、紛れもなく人生の天使だった。
僕らに生きる意味と愛する夢を運んでくれた。

僕らは、お前を偲んで、悲しみに泣いているが
決して、不幸ではない!
生きてることの喜びと悲しみを
お前は、身をもって僕らに示してくれたのだ。
お前は、かけがえのない僕らの天使だ!

ポロ!
僕らの愛の天使よ!
お前は僕らの心に生き続けている!
お前の墓標は、僕らの記念碑なのだ!
大切な、大切な記念碑なのだ!


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死の帰するところが生の依るところ! [人生]

2008年3月19日(水)

明日は、祝日で営業日になるので夕方kazeに向かう。
Kazeは、闇の中だった。
で、僕らが灯を灯す。
開店準備をする前に、ご近所さん宅へお悔やみに激しく降る雨の中、二人で出かけた。
一人っ子の息子さんを33歳で亡くしたのだ。
子供に先立たれる親の悲しみは、深いものがあると思う。
座敷で棺の中に横たわる彼は、まるで今眠りに付いたような安らかな表情をしていた。
そんな我が子の表情を見つめる父親の心情は、いかばかりかと心が痛む。

死は、私たちに生きる意味を問いかけてくる。
自分の人生の、生き方のありようを振り返る機会を与えてくれる。
僕は、以前読んだ論文の一説を思い出した。

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『…・そのことによって私どもは、自らの生存において、他の動物のように種的生命を
生きるのではなく、自分自身の生命を生きるものとなるのである。
だが、そのことによって、種的生命を生きる動物が新しい個体を生むことによって生き
続けるのとは異なり、身体の機能停止によって自己の生命の終焉に遭わなければならな
くなったのである。
身体の所有によって自己自身の存在を確立した自己にとっては、身体の存在の終わりは
また自己の存在の終わりとなるのである。
しかも、この自己の存在の喪失としての死は、私に臨むだけでなく、私が愛する者にも
おこるのである。
愛する者、それは私がその者の存在のためなら自らの生命を賭けて悔いない者である。
死は、その者の存在をも奪い去る暴力なのである。
死は私の存在も、私の愛する者の存在も奪い去るものであるのだから、私どもがその実
現を究極的に願い、その願いのうちに価値を与えていたものを一切無意味にしてしまう。
身体の所有によって自己の存在の同一性を見出した私どもの自己にとっては、それゆえ
に、死によってすべて存在の意味は喪失してしまい、世界が虚無の淵に沈んで行くのを
どうすることも出来ないであろう。
そこで、古くから、人びとは、死の意味を知ろうと努力したのであった。
それは、運命だとして諦めようとしたり、人は一代名は末代と名誉のうちに死を解消し
ようとしたり、文化的遺産のうちに生命の持続があると信じようとしたりなどしたので
ある。
しかし、これらの死の理解によって私どもは自己の存在の喪失としての死を納得するこ
とが出来るだろうか。
私どもは、この死を十分納得出来るように理解することなしには、生きることに希望を
持つことは出来ない。
それゆえ、死は生を求める者への問いかけであり、私どもは死の帰するところを究める
ことなしに、生きることを願うことは出来ない。
実に死の帰すところが生の依るところなのである。
死は、そして、処理することの出来るものではなく、その意味の理解を求めているので
あり、死の意味の理解-これこそ私どもの「知る」ことへの根源的主題なのである。』

(大学問題叢書Ⅰ「大学-理念と存在」大須賀潔著、社団法人日本私立大学連盟研修事
業委員会発行より引用)*故大須賀潔氏は、元立教大学総長

僕は、この本を手にして依頼、何度も何度も読み返し、
生きる意味について考えてきたし、今も考えている。
「死の帰するところが生の依るところ」という命題を追い求めている。


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人生を思う! [人生]

2008年2月3日(日)
朝マイナス2度、雪後曇り。
6時に起きて、外を見ると、やっぱり新たに積雪がある。
おまけにまだ雪は降っている。
木々は、きれいな雪の花を満開にしていた。


早速、準備をして、ブルを起こして除雪開始。
作業時間約2時間。
妻は、のんきなもので、玄関横に雪だるまを作って楽しんでいる。


が、テラスの除雪も頑張った。格好だけは・・・・・!?



お昼前に、Kusuyoさんがお友達と来店。
「里山通信ゆるる」の風さんが、行くのならkazeに行けと勧められて来たとか。
ご自身のCDを2種類持参、早速お店に「ひとつになれる」を流してみる。
柔らかな歌声が店内に流れる。
僕の好きな「みゆき」の歌も入っていた。
彼女は、僕と同郷の出身だそうで「坊がつる讃歌」もCDに入っている。
帰り際に視聴用として一組、宣伝用に一組置いて帰った。
BGMとして、流していたら、それを聞いたお客さんで、すごく気に入ったと
CD「ひとつになれる」を買っていかれた。
もうひとつのCD「コトノハ、ひとつ」に収録されている「鶴」には、
心が引き込まれた。
鮫島有美子さんも歌っているが、歌詞は、Kusuyoさんのものが
一番僕の心に沁み込んだ。
この歌は
ロシアの小国ダゲスタン自治共和国の詩人P・ガムザートフが
広島の原水爆禁止世界大会に参加した感動をうたった詩に
Y・フレンケリが曲を付けた大衆歌曲として作られた。
広島の千羽鶴を見て詠ったともいわれている。
戦場で傷つき逝った兵士達は異国の地に眠りながら、白い鶴となって訪れる。
切ない声で深い悲しみを秘めて、人の世を忍び嘆き悲しむ歌。
「夕もやの中 旅を急ぐ渡り鳥の群れ あの列の中に小さな隙間がある。
もしかしたら僕のためのものかもしれない。
…・・
傷つき 力尽き果て 戦の野辺に眠る
今は帰らぬ兵士らの変わり果てた白い姿
・・・・・・・・・

ひとりたたずむ僕は、翼広げ飛び立とう、飛び立とう、泣きながら・・」


      (この写真はkusuyoさんのホームページから拝借

ロシアの歌は、父親が大好きで子供の頃よく聴かされた。
「アイダダ アイダ、アイダダ アイダ」なんて子供の頃口ずさんでいた。
(アイタタ アイタ アイタタ アイタではないよ。そんなのとは全く違う)
ロシア民謡の持つ雰囲気は今でも郷愁を覚えます。

今日は、若者カップルの来店者が多かったのですが、
あるカップルの男性が、彼女がトイレに行ってる間に
「この店には、小学生の頃から父に連れられてきていたが、
3年前にきたのが父との来店の最後になった。
僕も大きくなり恋人が出来たので、その時のことを思い出して
一緒にドライブに来た。コーヒーがすごく美味しかった!」という。
「父が良く行っていたプラントに行こうと思うが記憶があいまいで…」という
ので地図を出して教えてあげた。
彼は、わかりましたと大喜び!
僕も見送りに玄関まで行ってみると、車は、妻の車に負けずボコボコ。
この雪の中、大丈夫かいと少々、心配になる。
で、「気をつけて運転してね。急ブレーキは絶対にかけないように。
暗くなる前には帰るんだよ。凍てつくからね」といった。
彼は素直に「わかりました」とそろそろと運転して出て行った。
素直でさわやかな青年に、なにか僕もほのぼの!
今日は、ステキな心温まる一日でした!


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