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釜石小学校校歌と釜石の奇跡! [kazeの風景]

2012年10月20日(土)

朝6度、晴れ!朝露多し。
朝露を踏んでしばし、庭を朝の散歩。

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妻は友人から貰った「釜石小学校校歌」を
誰かに話したくてうずうずしている。

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で、開店まもなく、両親と娘さんの3人家族が来店。
この店を始めて以来、年に数回必ず訪れている家族である。
初めて会ったころは、娘さんは小学生だった。
あれから、9年という歳月が流れ、娘さんも大きくなった。

帰り際、妻が声をかけた。
「お急ぎですか?」
「いいえ」
「じゃ、ちょっと見て欲しいものがあるんです」と
早速、「釜石小学校校歌」のプリントを持ち出して、お母さんに渡した。
「この歌詞が素晴らしいんです。
井上ひさしさんが作詞して、宇野誠一郎さんが作曲してるんです。
"ひょっこりひょうたん島"のグループの作です。
この歌詞読んでみて!」と娘さんにいう。
娘さんが、声を出して、それを全部読んだ。
すると、お父さんが、「ピアノを弾いてあげたら」という。
母親はピアノの前に座ると、いきなり伴奏を入れて、校歌を演奏した。
一番が終わると、今度は、ピアノを弾きながら綺麗な声で歌いだした。
僕らは、びっくり!
聞けば、音楽の先生だという。

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曲も、歌詞も素晴らしいと彼女は、感動している。
更に、「この歌詞には、釜石小学校という言葉がどこにもない。
普通、校歌なら最後に○○小学校を固有名詞が入り、高音で終わるのだが
この校歌は、それがなくて、歌いやすい」という。
で、彼女は、そんな歌詞の曲を、「釜石小学校校歌として採用した方の
勇気と勇断が感じられる。」という。
さすが先生の感覚だと思った。
僕らも同感である。

彼女は、単位制高校の先生で、生徒は10代から70代の幅広い年齢の方たちで
彼らにとっても、これはまさに応援歌だ、授業で使いたいというので
コピーをお渡しした。
妻はすごくうれしそうである。

お昼ごろ、友人が友達二人を連れて来店。
またまた、校歌の話に花がひらいた。
友人もピアノが弾けるので、みんなで合唱となった。

釜石といえば「釜石の奇跡」で震災のことが語られているが、
まさに感動的な出来事であった。

今年の1月、NHKで放送された「クローズアップ現代」で
タイトル《大津波を生き抜いた子どもたち》で、
岩手県釜石市立釜石小学校の全校児童184人が一人として犠牲にならず、
助かったことを取り上げた。
 釜石小学校では、震災当日、年度末の短縮授業で、
全校児童はいつもより早く下校していて、自宅などで過ごしていた。
釜石小学校は、海岸から1kmほど離れているが、近くに川が流れている。
津波はこの川に沿って逆流して、15mほどの高さで市街地を襲った。
学校の職員や保護者たちは、
子どもたちはもうだめだ、助からないと覚悟を決めたそうだが、
子どもたちは学校で学んだ防災学習の知識を生かして、
一人一人が安全な場所に避難していたのである。

小学4年生の男子は、地震あと、自宅で目の見えない祖母を避難させようと
何度も声をかけるけれど、なかなか逃げようとしない。
そこで激しい口調で逃げようと諭し、祖母の手を引いて家から連れ出し、
避難している。
今、祖母は「もうちょっとためらっていたら、逃げられなかった。
孫に助けてもらった」と語っている。

また、避難の最中、義足をつけている友人がどうしても友より遅れるので
一人が、「おんぶしてやる」といって、おんぶして走っていったという。

 釜石小学校では4年前から児童に津波の映像などを見せて、
津波の恐ろしさを教え、毎年、市にサイレンを鳴らしてもらって、
本番さながらの避難訓練を行ってきていた。
子どもたちは、「自分の命は自分で守れ」と学校で教えていたという。
 東北には「津波てんでんこ」という言葉が昔から人々に語り継がれてきている。
津波の時には、それぞれが自分で逃げなさいという意味だ。
家族の信頼感を表す言葉でもある。

特に、鵜住居(うのすまい)地区の釜石東中学校と鵜住居小学校の子供たちが励まし合い、
手を引きながら定められた避難場所よりも高い場所に逃げ、
避難路にあった保育園児を連れて避難。学校にいた全員が生き抜いた。
釜石東中学校は、3階まで津波に襲われたのだ。
 生きた教育の力の素晴らしさが改めて証明されたのだ。

東日本大震災の被災地で、学校では最も多い74人の児童と10人の教職員が
死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校と比較すれば、
生きた教育のあり方がどういうものかが
これほど明確に証明されたことはなかったのではないかと思う。

釜石小学校の体育館は、震災の避難所にもなっていて
毎朝、ラジオ体操の後、被災者全員でこの小学校の校歌を皆で歌ったと言う。
この惨状の中、小さな反射式のストーブ4台だけの寒い体育館で、
42名の卒業生の卒業式が行われた。
その卒業式を見守る先生方、父母、避難している方々と
そしてボランティアの皆さんで、この校歌の涙、涙の大合唱が行われたと言う。

<釜石小学校校歌>

1.いきいき生きる いきいき生きる
 ひとりで立ってまっすぐ生きる
 困ったときは目をあげて
 星を目当てにまっすぐ生きる
 息あるうちはいきいき生きる

2.はっきり話すはっきり話す
 びくびくせずにはっきり話す
 困ったときはあわてずに
 人間についてよく考える
 考えたならはっきり話す

3.しっかりつかむしっかりつかむ
 まことの知恵をしっかりつかむ
 困ったときは手を出して
 ともだちの手をしっかりつかむ
 手と手をつないでしっかり生きる

まさに涙なしには、語れない卒業式であったのだ。

WEBで釜石小学校加藤 孔子校長の卒業式式辞を知ったので
ここに、転載しました。

<式辞>
 
 悪夢のような3月十一日の東日本大震災。
   そしてこの街並みも一晩で散ってしまった大津波。
   誰もがさらには夢であってほしい、
   夢ならば覚めてほしいと願ったにちがいありません。

 あの日から二十五日が経ちました。
   今こうして四十二名の卒業生の皆さん全員に、
   遅くなってしまいましたけれど
   卒業証書を渡すことができたことをとても嬉しく思います。

 そして、何よりもあの大きな地震の後、
   皆さん一人一人がそれぞれの避難場所に避難して
   自分の命を守ってくれたことに感謝したいと思います。
 
  あらためて心から卒業おめでとうございます。
 
 今、皆さんに渡した卒業証書には
   六年間の皆さん自身のガンバリと、
   おうちの皆様の温かな心、
   先生方の熱い思いがこめられています。

 どうかいつまでも大切にしてほしいと思います。

 今回の震災で残念なことに、多くの方が亡くなり、
   多くの家や建物が流されてしまいました。
   皆さんが六年間通った道、
   友達と遊んだ公園も瓦礫と化してしまいました。
 
 しかし、皆さんの家族や釜石の人々、
   そして全国、全世界の人々が今、深い悲しみを押して、
   釜石の復興に動き始めています。
   この釜石市の次の時代を担うのはあなた方です。
   津波から命を守ることを伝えることのできるのも
   あなた方です。
 
 総合で学習した「鉄と魚の町」、
   釜石の良さを伝えることができるのもあなた方です。
   大きな震災から守り抜いた皆さんの命を、
   皆さんの力を釜石のために生かしてほしいと思います。
   亡くなられた方々の分も
   毎日を大事にして生きてほしいと思います。
 
 この小学校の避難所で
   私はたくさんの素晴らしい人に出会いました。
   夜も寝ないで自分のことよりも
   まず避難している人のために働く大渡町内会の皆さん、
   自主防災会の皆さん、市役所の皆さん、
   ボランティアとして避難所の掃除などをして下さった
   埼玉県からもいらした中学校の先生、
   秋田県庁の皆さん、
   たくさんの出会いがありました。

 皆さんの先輩の、
   釜石中学校の三年生の女の子は
   この避難中に高校に進学が決まりました。
   「将来、何になりたいですか?」とたずねると、
   「今までは通訳の仕事をしようと思っていたけれど、
   今回のこの震災で私は医者になろうと思いました。
   医者になって釜石の人たちのために役立ちたいのです」
   そう話してくれました。

 皆さんにもそれぞれ自分の夢がありましたよね。
   夢の実現のために自分の道を力強く歩いてください。

 今日は皆さんの卒業式を
   「ぜひこの体育館でしてあげましょう」と言ってくださった
   対策本部や地域の皆さま方もこの場に参加してくださり、
   皆さんの卒業を祝福してくださっています。
 
  皆さんの家族、先生方、地域の皆さん、
   そして釜石の人たちみんなが
   あなたがたを全力で応援しています。
 
 私たちはいつまでも皆さんの応援団です。
 
 保護者の皆さま、地域の皆さま、
   今日はひと足遅れの釜石小学校の卒業式となりましたが、
   皆さま方に見守られて
   こんなに温かな卒業式を行うことができました。
 
 どうかこの四十二名の子供たちが
   お父さん、お母さん方、地域の皆さま方のような
   素敵な大人になるように、
   温かく背中を押していただければと思います。
 
  よろしくお願いします。
 
 私たち教職員一同、
   卒業生四十二名の皆さんと
   保護者の皆さまと出会えたことを生涯の宝物として、
   今この学校を巣立っていく卒業生の皆さんの
   さらなる成長と活躍を、
   そして釜石の復興を心から祈念いたします。
 
 最後に卒業生の皆さんに、もう一度心を込めて言います。
 
 卒業おめでとう!

 


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斗夢

タイトルを見たとき、kazenotomo さんの近くにも釜石があるのかなとおもいました。
当ブログを読ませて頂き、東北生まれの私は胸がいっぱい、感無量です。
有難うございます。
by 斗夢 (2012-10-24 06:21) 

carotte

震災の時の釜石小学校のことはニュースで知っていましたが、校歌は初めてです。型破りで素晴らしい校歌ですね。こういう校風がもともとあったんでしょうね。
by carotte (2012-10-24 09:14) 

kazenotomo

斗夢さんへ
私たちも東日本大震災で多くのことを学ばされました。
被災者のみなさんのことを思うと胸が詰まります。
中でも釜石のこどもたちに逆に励まされた思いがします。
日本人の宝としたいですね。

by kazenotomo (2012-10-24 13:17) 

kazenotomo

carotteさんへ
このような校歌を採用すること自体、当時は、大きな勇気と決断が
必要だったのではと思います。
この校歌を決めた心が震災でも生きて日と簿との心を
励ましていると思います。
釜石の人々の心が伝わってくる思いがしますね。

by kazenotomo (2012-10-24 13:23) 

gigipapa

素晴らしい校歌だと思います!
この歌を校歌に採用する学校も素晴らしいですし。。
最後の校長先生の式辞も心を打ちます
良いお話を伺いました。。有難うございました☆
校歌のメロディー弾いてみます♪
by gigipapa (2012-10-29 18:35) 

kazenotomo

gigipapaさんへ
こちらこそありがとうございます。
音楽の出来る方は、うらやましい!
by kazenotomo (2012-10-31 00:07) 

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