植物たちが春を歌う! [kazeの風景]
2012年4月21日(土)
朝11度、曇り、夜嵐。
Kazeの桜が8分咲きになった。
ここ3日ほど暖かだったので、一気に開花が進んだようである。
Kazeの春だ。
(庭から向かいの茅葺屋根の家を望む)
(ペアガラスに映った桜)
庭では、花たちも春を待ち望んでいたように、咲き始めている。
(さくら草)
(キブシ)
(コブシ)
(庭のワラビ)
(実を結び始めたクリスマスローズ)
(ニワトコ)
(庭のツクシ)
(畑に咲いたチューリップ)
(庭の片隅に芽を出したシャクヤク)
(庭で花を咲かせた雪柳)
(花壇のイカリ草)
(実をつけたカタクリ)
(庭のタンポポ)
(石鉢の中ではしゃぐメダカ)
(覗くように芽を出している若葉)
ところが夕方から、春の嵐となった。
風が唸りをあげて吹き、桜の木は大揺れに揺れる。
せっかく咲いた花が一度に散ってしまうのではと心配になる。
が、桜が咲いたうれしさに
室内の電灯を絞り、外灯を付けて、窓辺で夕食をした。
外灯に照らしだされた桜の花が、風で踊っているように見える。
二人だけの嵐の夜桜見物である。
ひとしきり夜桜を堪能した後、
妻が今読んでる本の話をしてくれた。
府立図書館で借りてきた津村節子さんの「智恵子飛ぶ」である。
そう、高村光太郎と智恵子の話なのだ。
智恵子が高村光太郎と知り合い、光太郎に恋をするのであるが、
光太郎は、智恵子にそぶりも見せない。
生家からは、智恵子を結婚させるために呼び戻そうと矢の催促。
で、仕方なく智恵子は、光太郎に自分は必ず東京に帰ってくると言って
郷里に帰っていく。
智恵子は、親の進める結婚を断り、言ったとおりに東京に帰ってくる。
すると光太郎から手紙が届いていた。
そこには「N女史に」と題された詩があった。
N女史とは、長沼智恵子、その人である。
薄暗い部屋の明かりの中で、妻はその詩を僕に読んでくれる。
「いやなんです
あなたの往ってしまふのがー
あなたがお嫁にゆくなんて
花より先に実のなるやうな
種より先に芽の出るやうな
夏から春がすぐ来るやうな
そんな、そんな理屈に合わない不自然を
どうかしないで居てください。
・ ・・・・・・・・」と続く長編詩
この詩を読んだ智恵子は、すぐさま光太郎のアトリエに行くのであるが
光太郎はいない。親元の家を訪ねると、犬吠埼にスケッチに出かけていると
聞き、友人と3人で追っかけていくのである。
妻は、「すごい詩でしょう!この詩知ってた?」と聞くが、思い出せない。
初めて聞いたような気がするのだ。
で、kazeの本棚から「高村光太郎詩集」を引っ張り出してみるが、
その詩は見当たらない。
光太郎の詩と初めて出会ったのは、学校の教科書にあった「道程」だった。
僕はすごくこの詩に魅せられて、光太郎の詩を読むことになったのであるが
この「いやなんです」で始まる詩の記憶がないのだ。
僕の心に最も強烈な印象として残っている光太郎の詩は智恵子抄の中にある
「山麓の二人」である。
智恵子が肺結核で亡くなったのが、昭和13年10月5日だが、
その3ケ月ほど前の昭和13年6月である。
で、今夜はあの時代の女性たちについて、感動を持っての話に花が咲いた。
ことさら、与謝野晶子の話は尽きない!
光太郎と智恵子の結婚式には、与謝野夫妻も参加しているのだ。
で、夜は静かにふけるといいたいところであるが
なんとも激しい風雨の中で深けていった。
<参考>
山麓の二人
二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡(なび)いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭(どうこく)する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途(みち)無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋(すが)る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。
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