牛も家族だ! [kazeの風景]
2011年3月26日(土)
朝マイナス2度、雪時々日が差す。
朝テラスに出てみると、一面の銀世界が広がっていた。
空は、どんよりとした雲が広がり、真冬に逆戻りの風情である。
森林組合の中西さんが、来店。
木の枝にぶら下がる雪のかたまり「えびすさん」の話をしたら
「あれは、恵比寿ではなく、ホテイさんだよ」という。
「なんで?」
「ホテイさんの顔に似てるからじゃないかな」という。
いずれにしろ、あれが木の枝に出来ると、すぐまた雪が降るという
言い伝えは、本当らしく、雪になった。
窓の外では、時折、横殴りの雪が舞う。
が、時折、雲の合間から、明るい太陽の光が差してくる。
まあ、めまぐるしく天候の変わる日である。
お彼岸過ぎて、雪が積もるなんて、何年ぶりだろうと思う。
震災被災地のみなさんの苦労が思いやられる。
福島では原発事故で20km圏内の酪農家の方が、多くの牛のうち
一匹だけを連れて避難したが、残してきた牛が見捨てられなくて
毎日1時間半かけて、農場に通っていたが、耐え切れずに
農場に帰って住んでいるという。
避難しろと言われても、牛を見捨てられないのだ。
このニュースが、僕の脳裏に強く響いた。
忘れられないニュースである。
牛は、酪農家にとっては、生活の糧ではあるが、それだけではないだろう。
牛は、家族と同じようにかわいいのだ。
僕の子供の頃、周りの農家は、みんな牛を飼っていた。
子供の僕らの世界には、牛は生活の中に居た。
体は大きいけど、顔を近づけると、長い舌でぺろりとなめる。
人懐っこい動物なのだ。
おまけに、牛の目を見ると、本当に優しい目つきなのだ。
牛の散歩は、子供の仕事だった。
僕の生家には、牛がいなかったので、
近所の友達の牛の散歩に付き合っていた。
僕らが道草をしても、牛は楽しそうについてきて、待っているのだ。
手綱はついているけど、ほとんど必要が無い。
牛はちゃんと一緒に居てくれる。
はたから見てると、
牛が人間の子供を散歩させているようにさえ見えるのだ。
昔懐かしい話である。
酪農家の方が、自分の危険も承知で牛を放置できないのは、
牛は、彼らにとっては、家族の一員なのだと思う。
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