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山深い歴史の地! [kazeの風景]

2009年7月20日(月)

朝、23度、曇りのち雨
開店準備をしていたら、ほら貝の音!
川向こうの旧道を比叡山の修行僧達が列を成して、坊村明王院から
比叡山へ歩いて帰っていくところだった。

090720eizansou.JPG

坊村、明王院は、kazeから車で2~3分のところに位置していて、
明王院の参拝者も、よく来店していただいている。
で、ちょこっと、明王院の紹介をします。

”明王院 (大津市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明王院(みょうおういん)は、
滋賀県大津市葛川坊村町(かつらがわぼうむらちょう)にある天台宗の寺院。
山号は北嶺山(安曇山とも)。本尊は千手観音。近畿三十六不動尊二十七番。

 概要
開基(創立者)は相応和尚(そうおうかしょう)である。地名を冠して
葛川明王院(かつらがわみょうおういん)と称されることが多く、
息障明王院(そくしょうみょうおういん)、葛川息障明王院、
葛川寺などとも称される(宗教法人としての名称は「明王院」)。
大津市北郊の深い山中に位置する天台修験の道場である。
開基の相応は回峰行(比叡山の山上山下の霊地を巡礼し、
数十キロの道のりをひたすら歩く修行)の創始者とされている。

 位置
大津市域北端の葛川(かつらがわ)地区にあり、JR堅田駅からバスで45分ほどかかる
深い山中である。
葛川地区は1,000m級の山々が連なる比良山系の西側、安曇川(あどがわ)に沿った
南北に細長い地区であり、安曇川に沿って、京都と北近江・若狭方面を結ぶ若狭街道
(鯖街道とも)が通じる。
街道沿いに8つの集落が南北に列なり、明王院がある坊村の集落は地区の中ほどに
位置する。

 歴史
 相応による草創
『葛川縁起』(鎌倉時代前期成立)や相応の伝記である『天台南山無動寺建立和尚伝』
(10世紀頃の成立)等によれば、明王院は貞観元年(859年)、相応和尚
(建立大師・こんりゅうだいし、とも)が開いた修行道場であるという。
相応(831 - 918)は天台座主を務めた円仁(慈覚大師)の弟子で、
はじめ比叡山東塔の南に位置する無動寺谷に住したが、
後に修行に適した静寂の地を求めて、比叡山から遠く離れた葛川の地に移ったという。
『葛川縁起』の伝える開基伝承は、かなり伝説色の濃いものではあるが、
大略次のような話を伝えている。
相応は葛川の地主神である思古淵神(志古淵神)から
この地を修行の場として与えられた。
そして、地主神の眷属である浄喜・浄満(常喜・常満とも)という2人の童子の
導きで比良山中の三の滝に至り、7日間飲食を断つという厳しい修行を行った。
満願の日、相応は三の滝で不動明王を感得(仏などの超人間的なものの存在を感じ
取ること)する。
放心した相応が三の滝の滝壺に飛び込むと、不動明王と見えたのは桂の古木であった。
相応はこの霊木から千手観音の像を刻み、安置したのが明王院の始まりであるという。
なお、上記の浄喜・浄満の末裔とされる葛野常喜家・葛野常満家は今も明王院の門前
集落に存在し、信徒総代となっている。

現在、明王院の本尊となっている千手観音像と脇侍の毘沙門天像、
不動明王像は相応の時代まではさかのぼらず、平安時代・院政期(12世紀)の作
とされている。
現存する明王院本堂は江戸時代の建築であるが、保存修理工事の結果、
平安時代末期に建立された前身堂の部材が現本堂に一部転用されていることが判明した。
境内発掘調査の結果等からも、平安時代末期には現状に近い寺観が整っていたものと
推定されている。
『梁塵秘抄』には葛川への参詣道について歌った今様が収められており、
平安時代末期には山林修行地としての葛川が著名であったことがわかる。
年代の確かなものとしては、九条兼実の日記『玉葉』治承5年(1181年)
6月18日条に「今日より法眼が葛川に参籠した」という意味の記述があるのが
初出とされている。

回峰行と葛川参籠
相応は比叡山を代表する修行の一つである回峰行の祖とされており、
明王院は回峰行とも関係の深い寺である。
回峰行は比叡山東塔の無動寺明王堂を拠点として、比叡山の山中山下の霊地を巡礼し、
1日数十キロの行程をひたすら歩き通す荒行で、
法華経の常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)に登場する常不行菩薩の
但行礼拝(たんぎょうらいはい、一切の存在を仏性あるものとしてひたすら尊敬礼拝する)
という精神に基づいた行とされる。
今日では「百日回峰」と「千日回峰」があり、百日回峰を終えた行者のうち、
特に選ばれた者が千日回峰を行ずる。
千日回峰は足かけ7年間をかけて行われる修行で、7年の間、
年間100日間(または200日間)、1日に7里半(約30キロ)から21里(約84キロ)の
距離を歩き通し、7年間で歩く距離は地球一周分に相当するという。
途中、5年目には「堂入り」という人体の極限に近い荒行が待っている。
堂入りとは、足かけ9日間(実時間は7日半ほど)、無動寺明王堂に籠り、
この間、不眠、断食、断水、不横臥でひたすら不動明王の真言を唱え続けるという
ものである。
現在のような回峰行の形態が整ったのは元亀2年(1571年)の織田信長による
比叡山焼き討ち以後とされているが、天台宗では相応を回峰行の創始者としている。

明王院は天台行者の参籠修行の場としても知られている。
回峰行の創始者である相応が開いた聖地葛川における参籠修行(葛川参籠)は、
かつては旧暦6月の蓮華会(れんげえ、水無月会とも)と
旧暦10月の法華会(霜月会とも)の年2回・各7日間にわたって行われていた。
現在はこのうちの蓮華会のみが夏安居(げあんご)と称して7月16日から20日まで
の5日間にわたって行われている。
夏安居には百日回峰と千日回峰の行者がともに参加し、相応和尚の足跡を偲んでの
断食修行、滝修行などが古来の作法どおりに行われている。
夏安居は山林徒渉とともに回峰行の重要な修行に位置づけられ、
百日回峰は葛川での夏安居に参加しなければ満行とは認められない。
夏安居の中日の7月18日深夜には「太鼓回し」という勇壮な行事が行われる。
これは、相応が滝壺に飛び込んだ故事にちなみ、行者らが次々に大太鼓に飛び乗り、
飛び降りるものである。

中世から近世にかけて、葛川参籠を行った者は参籠札という卒塔婆形の木札を奉納する
ことがならわしとなっており、元久元年(1204年)銘のものを最古として、
約500枚の参籠札が残されている。それらの参籠札の中には足利義満、
日野富子のような歴史上の著名人のものも含まれ、葛川参籠が広い階層によって
行われたことがわかる。

 中世の葛川
明王院には平安時代末期から近世に至る4,000点以上の古文書が保存され、
中世の山村集落の様子、葛川参籠の実態、寺と地区住民の関係等を知る上で貴重な資料
となっている。
明王院は青蓮院(天台門跡寺院)と無動寺(比叡山東塔)の支配下にあり、
葛川の住民は明王院に従属するという関係にあった。
葛川は天台修験の聖域として山林開発が禁じられた特異な環境にあり、
地元民は「庄民」ではなく「住人」と称され、明王院の維持管理・補修などを
もっぱら業としていた。
こうした地域の特異性のため、豊富な山林資源の用益権をめぐって
葛川と周辺地域との堺争論が絶えなかった。
中でも南隣の伊香立(いかだち)庄との争論は著名で、建保6年(1256年)に始まり、
鎌倉時代だけで6回の争論が起きている。
文保元年(1317年)から翌年にかけての堺争論は中でも激しかったようで、
この時の争論をめぐって、100通近い文書が残され、また争論解決のための絵図が
作成されている。

 境内
明王院の境内は、北に流れる安曇川から東側に入った支流・明王谷の北岸に位置する。
明王谷をはさんで南側には明王院の鎮守で、国常立神と地主神の思古淵神を祀る
地主神社がある。
神社前の橋を北に渡ると、道の左側には政所(まんどころ)と呼ばれる一画があり、
右側には護摩堂、庵室などが建つ。護摩堂脇の石段を上った先、
一段高く整地された場所に本堂が建つ。
山腹を石垣で整地した境内の様子、各建物の配置などは中世の絵図に描かれたものと
あまり変わっていない。
本堂等4棟の建物のほか、旧状をよくとどめる土地(明王院境内地、地主神社境内地)
も合わせて重要文化財に指定されている。

本堂 - 正徳5年(1715年)の建立。桁行(正面)3間、梁行(側面)5間、入母屋造、
鉄板葺きの堂である(「間」は柱間の数を意味する建築用語)。
平面は3間×3間の正堂の手前に3間×2間の礼堂が付いた形になる。
堂は南側を正面とするが、出入口は西面にあるのみで正面側には出入口を設けない。
滋賀県教育委員会が2005年から実施した保存修理工事の結果、
現本堂には前身堂の部材が一部転用されていることがわかり、
年輪年代測定の結果、それらの部材は西暦1,100年頃に伐採されたものと判明した。
護摩堂 - 宝暦5年(1755年)の建立。桁行(正面)3間、梁行(側面)3間、
宝形造、鉄板葺きの堂。
庵室 - 天保5年(1834年)の建立。入母屋造、鉄板葺きの建物。内部は畳敷きで、
参籠の行者が寝泊りするための建物である。
政所表門 - 江戸時代初期の建立。切妻造、銅板葺きの棟門。

 文化財
重要文化財

本堂(附:厨子、旧厨子)
護摩堂(附:厨子)
庵室
政所表門
土地 - 上記建物のほか、石垣、石塀、石段を含む境内地9,500m2も合わせて
重要文化財に指定されている。
紙本著色光明真言功徳絵詞
絹本著色不動明王二童子像 
木造千手観音・不動明王・毘沙門天立像 - 明王院の本尊。中央に千手観音、
左(向かって右)に毘沙門天、右(向かって左)に不動明王を安置する。
千手観音像は漆箔仕上げで、目鼻立ちや衣文の彫りの浅い穏やかな作風を示す。
両脇侍は彩色像で、三尊とも院政期(12世紀)の作と思われる。
葛川明王院文書 4,336通 - 永久5年(1117年)を最古として、
平安時代後期から江戸時代末期に至る文書群。
中世の山村の様子、近隣の伊香立庄との土地争い、
葛川参籠の実態などが判明する貴重な史料を含む。
葛川与伊香立庄相論絵図(かつらがわといかだちしょうそうろんえず)2鋪
 - 文保元年(1317年)に作成された「簡略絵図」と翌文保2年(1318年)に作成
された「彩色絵図」がある。
いずれも、葛川と南隣の伊香立庄との山林資源をめぐる境界争いの解決のために
作成されたものである。
葛川明王院参籠札 501枚 - 葛川参籠の行者は、参籠札と称する卒塔婆形の木札を
奉納することがならわしとなっていた。
現在、鎌倉時代から江戸時代に至る501枚の参籠札が残っている。
このうち最古のものは元久元年(1204)の銘がある「権大僧都成円」ら7名の
奉納したもので、高さ391cmの巨大なものである。
以上の文化財のうち、建造物以外のものについては、
宗教法人延暦寺が文化財保護法に基づく管理団体に指定されている。

 所在地
滋賀県大津市葛川坊村町155

 交通
路線バス - 坊村バス停下車。
JR湖西線 堅田駅から江若交通バス堅田葛川線、細川行き利用
(所要45分、1日3往復)。
京阪鴨東線・叡山電鉄叡山本線 出町柳駅などから京都バス比良線、
朽木学校前行き利用(出町柳駅から所要56分、1日2往復(季節便あり))。
自動車
大津市街地からは、国道477号から国道367号を北上。
京都市街地からは、国道367号を北上。
高島市朽木からは、国道367号を南下。
                       以上

また、坊村は比良山系への登山口となっていて、一年中登山者が絶えない。
kazeから歩いて10分ほどに葛川小中学校があるが、その横手から
八丁平の登山口もある。こちらも、登山者の絶えないところである。

ところで、久しぶりにご近所の上村さんが来店。
野菜を一杯と三千院の「健康・長寿のお守り」を持ってきてくれた。
僕が肺がんを患ったことを聞いて、勤め先の三千院から貰ってきてくれたとのこと。
親切な方である。
ご近所の皆さんにもkazeをかわいがってくれている方がたくさんいて
本当にうれしい。
まるで故郷のような気がする。

090720omamori.JPG

午後、ふと玄関の天井を眺めたら、例の蜂の巣に蜂が来ていた!
やはり、巣を取り除くしかないと思い、竹の棒で巣を叩き落した。

090720hati1.JPG

床に落ちた巣をみたら、まだ蜂の幼虫がたくさん生きていた。
なんか、すごく残酷なことをしているような気分に襲われた。
でも、仕方がない。巣を拾い集めて、畑にすてた。

090720hati2.JPG

畑では、ホウズキが、鹿に茎をかじられながらも青い実をたわわにつけている。

0907huusen.JPG

赤くなるのが楽しみである。
蕾といえば、玄関の花壇でマダガスカルジャスミンが蕾を膨らませている。
これも開花が楽しみである。

madagasukaruzyasumin0907.JPG

その近くで、パパイヤの実がなりそうな蕾を見つけた。
なんという植物かわからない。花が咲くのだろうけど、どんな花が咲くのか
これまた、楽しみである。

what0907.JPG

この植物の名前がわかる方がいましたら、ご教授願います。

■お知らせ
「プリンス・エドワードの旅」は、ブログ「風の詩」で連載しています。


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コメント 5

ホタルの館

スズメバチの巣ですか?
by ホタルの館 (2009-07-22 14:37) 

路渡カッパ

スズメバチの巣ですね、スプレーだけで撃退?
ちょっと危なかった気が・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2009-07-22 22:34) 

kazenotomo

カッパさんへ
蜂退治用のゼットとかいうスプレーなんだけど
向かって来る蜂もあり、危なくて、大騒ぎでした。
スズメバチですかあ!
僕はアナフラキシーなんで、奴に刺されたら
あの世行きになるところでした!
by kazenotomo (2009-07-23 10:50) 

greens

どんな花が咲くのか、楽しみです^^
咲いたら画像を載せて下さい。
by greens (2009-07-24 08:32) 

kazenotomo

greensさんへ
わかりました必ず写真をアップします。
by kazenotomo (2009-07-24 11:50) 

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