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死の帰するところが生の依るところ! [人生]

2008年3月19日(水)

明日は、祝日で営業日になるので夕方kazeに向かう。
Kazeは、闇の中だった。
で、僕らが灯を灯す。
開店準備をする前に、ご近所さん宅へお悔やみに激しく降る雨の中、二人で出かけた。
一人っ子の息子さんを33歳で亡くしたのだ。
子供に先立たれる親の悲しみは、深いものがあると思う。
座敷で棺の中に横たわる彼は、まるで今眠りに付いたような安らかな表情をしていた。
そんな我が子の表情を見つめる父親の心情は、いかばかりかと心が痛む。

死は、私たちに生きる意味を問いかけてくる。
自分の人生の、生き方のありようを振り返る機会を与えてくれる。
僕は、以前読んだ論文の一説を思い出した。

bosatsu.jpg

『…・そのことによって私どもは、自らの生存において、他の動物のように種的生命を
生きるのではなく、自分自身の生命を生きるものとなるのである。
だが、そのことによって、種的生命を生きる動物が新しい個体を生むことによって生き
続けるのとは異なり、身体の機能停止によって自己の生命の終焉に遭わなければならな
くなったのである。
身体の所有によって自己自身の存在を確立した自己にとっては、身体の存在の終わりは
また自己の存在の終わりとなるのである。
しかも、この自己の存在の喪失としての死は、私に臨むだけでなく、私が愛する者にも
おこるのである。
愛する者、それは私がその者の存在のためなら自らの生命を賭けて悔いない者である。
死は、その者の存在をも奪い去る暴力なのである。
死は私の存在も、私の愛する者の存在も奪い去るものであるのだから、私どもがその実
現を究極的に願い、その願いのうちに価値を与えていたものを一切無意味にしてしまう。
身体の所有によって自己の存在の同一性を見出した私どもの自己にとっては、それゆえ
に、死によってすべて存在の意味は喪失してしまい、世界が虚無の淵に沈んで行くのを
どうすることも出来ないであろう。
そこで、古くから、人びとは、死の意味を知ろうと努力したのであった。
それは、運命だとして諦めようとしたり、人は一代名は末代と名誉のうちに死を解消し
ようとしたり、文化的遺産のうちに生命の持続があると信じようとしたりなどしたので
ある。
しかし、これらの死の理解によって私どもは自己の存在の喪失としての死を納得するこ
とが出来るだろうか。
私どもは、この死を十分納得出来るように理解することなしには、生きることに希望を
持つことは出来ない。
それゆえ、死は生を求める者への問いかけであり、私どもは死の帰するところを究める
ことなしに、生きることを願うことは出来ない。
実に死の帰すところが生の依るところなのである。
死は、そして、処理することの出来るものではなく、その意味の理解を求めているので
あり、死の意味の理解-これこそ私どもの「知る」ことへの根源的主題なのである。』

(大学問題叢書Ⅰ「大学-理念と存在」大須賀潔著、社団法人日本私立大学連盟研修事
業委員会発行より引用)*故大須賀潔氏は、元立教大学総長

僕は、この本を手にして依頼、何度も何度も読み返し、
生きる意味について考えてきたし、今も考えている。
「死の帰するところが生の依るところ」という命題を追い求めている。


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みみちゃん

こんにちは。
俺も6歳の一人娘を4年前に亡くしました。
いまは子供はいません。

blogの目的も、いまは変わりましたが、
始めたキッカケは、悲しみを紛らわせるためです。

最近、死にたいとは思いませんが、
「これだけやったら死んでもいいかな」と
考えるようになりました。

命の全うは主観で決まると思っています。
普遍的な結論はないんじゃないかな。
by みみちゃん (2008-03-21 07:47) 

kazenotomo

みみちゃんへ
僕にも娘が一人います。6歳といえば、いわば「目に入れても
痛くない」ほどかわいいとき!
心中をお察し申し上げます。
みみちゃんがいうように「命の全うは主観で決まる」のでしょう。
自分自身に納得の出来る生き方をした時に命は全うされると
思われます。
だから、生きる意味も人それぞれであるのだと思う。
けれども、他人を痛めつけたり、踏み台にすることを生き甲斐に
している人がいるし、一方他人を救うために献身的な人もいる。
その違いはどこから来るのでしょうか?
どうしても心というか、人格というか、そういうもののありように
突き当たるんです。

by kazenotomo (2008-03-21 10:53) 

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